文章: 開発のきっかけは「使い切れない子供ノート」
開発のきっかけは「使い切れない子供ノート」
今回はスライドノートを開発するきっかけになった子供の学校ノートのお話をしたいと思います。
30年前、私が小学生だった頃から、教科ごとに、国語は何マスのノート、算数は何行罫線などが指定され、そのノートを使っていました。これは今の子供たちも同じで、まったく変わっていません。
私の子供たちを見ていると、時には学期が変わるとその指定ノートも変更になり、進級する時には、半分以上使わないまま次のノートに買い替えるようなことも。
そのたびに、余っているノートを本体からカッターで分解し、クリップで留めたりしてメモ帳などに再利用しています。私が紙に関わる仕事についているからなのかもしれませんが、勿体ないな、環境に優しくないなと感じています。
また、ランドセルの重さから小学生に腰痛が多いなどのニュースを聞くと、桜の季節、入学したての小学一年生の通学を見ると、本当に重そうだと心配になります。教科書はやむを得ないとしても、ノートは、一日で使うページは1教科毎に多くても5枚程度。です。つまり、まだ使わない未来の余白ノートも毎日運んでいると思うと、これもまたどうにかならないものかと考えていました。
使われず余るページの存在、ノートはその日に使うページ数があれば必要十分であること。この2点が、スライドノート開発のきっかけとなりました。いつでも簡単に分解でき、またすぐにノート化できる。つまりノートの単位をこれまでは冊で考えていた思考を頁単位で考えた文具があったらいいな。誰かのお役に立てるのではないか?こんな思いが、スライドノート開発の発端となりました。
それからは、実際、市場ですぐに手に入るノートやファイル、バインダーなど、文房具をつぶさに探し回りました。そして、メジャーな文房具メーカーから出ているスライド式のバインダーを見つけ、実際ノートとして使ってみたところ、そのまま記入するとグリップ力が弱く用紙がバラバラになってしまうなど、ノートとしての機能を備えていませんでした。仕方ありません。そのほとんどがプレゼンテーション用途として開発製造されているのですから。
こうして、手元にある紙をサっと挟んで、且つ、ノートとして使おうとしたとき、最適なものが市場に全くない事が分かりました。そこで、「無いなら作ろう!」と自社で企画開発しようというプロジェクトをキックしたのでした。新しいノート文化を目指して、しっかり紙をバインドするグリップ力と、そのグリップ力を簡単に開放できる構造の開発が始まったのです。
文:株式会社 研恒社 代表取締役 神崎 太一郎
30年前、私が小学生だった頃から、教科ごとに、国語は何マスのノート、算数は何行罫線などが指定され、そのノートを使っていました。これは今の子供たちも同じで、まったく変わっていません。
私の子供たちを見ていると、時には学期が変わるとその指定ノートも変更になり、進級する時には、半分以上使わないまま次のノートに買い替えるようなことも。
そのたびに、余っているノートを本体からカッターで分解し、クリップで留めたりしてメモ帳などに再利用しています。私が紙に関わる仕事についているからなのかもしれませんが、勿体ないな、環境に優しくないなと感じています。
また、ランドセルの重さから小学生に腰痛が多いなどのニュースを聞くと、桜の季節、入学したての小学一年生の通学を見ると、本当に重そうだと心配になります。教科書はやむを得ないとしても、ノートは、一日で使うページは1教科毎に多くても5枚程度。です。つまり、まだ使わない未来の余白ノートも毎日運んでいると思うと、これもまたどうにかならないものかと考えていました。
使われず余るページの存在、ノートはその日に使うページ数があれば必要十分であること。この2点が、スライドノート開発のきっかけとなりました。いつでも簡単に分解でき、またすぐにノート化できる。つまりノートの単位をこれまでは冊で考えていた思考を頁単位で考えた文具があったらいいな。誰かのお役に立てるのではないか?こんな思いが、スライドノート開発の発端となりました。
それからは、実際、市場ですぐに手に入るノートやファイル、バインダーなど、文房具をつぶさに探し回りました。そして、メジャーな文房具メーカーから出ているスライド式のバインダーを見つけ、実際ノートとして使ってみたところ、そのまま記入するとグリップ力が弱く用紙がバラバラになってしまうなど、ノートとしての機能を備えていませんでした。仕方ありません。そのほとんどがプレゼンテーション用途として開発製造されているのですから。
こうして、手元にある紙をサっと挟んで、且つ、ノートとして使おうとしたとき、最適なものが市場に全くない事が分かりました。そこで、「無いなら作ろう!」と自社で企画開発しようというプロジェクトをキックしたのでした。新しいノート文化を目指して、しっかり紙をバインドするグリップ力と、そのグリップ力を簡単に開放できる構造の開発が始まったのです。
文:株式会社 研恒社 代表取締役 神崎 太一郎